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インタビュー

interview

第六回

松竹映像センター取締役

齋藤朋彦さん

プロフィール
齋藤朋彦 (さいとうともひこ)
<略歴>
1958年 神奈川県横浜市生まれ
1980年 井上梅次監督の助手として業界デビュー
1990年 松竹大船撮影所製作部契約社員
1994年 松竹㈱入社(映像製作部)
2014年 ㈱松竹撮影所取締役
2017年 ㈱松竹映像センター取締役
<主な担当作品>
・TVドラマ
テレビ朝日『土曜ワイド劇場江戸川乱歩シリーズ』
テレビ東京『ザ・スーパーガール』『ミラクルガール』
・映画
『天城越え』(1983年三村晴彦監督)
『新喜びも悲しみも幾年月』(1986年木下恵介監督)
『二十四の瞳』(1987年朝間義隆監督)
『釣りバカ日誌』シリーズ(栗山富夫監督、本木克英監督)
『男はつらいよ』第44作~第50作『学校』Ⅱ~Ⅵ
『たそがれ清兵衛』(米アカデミー賞外国語映画部門ノミネート)
『武士の一分』『母べえ』『母と暮せば』
『家族はつらいよ』シリーズ(山田洋次監督作品)

振り回される現場

これまで多くの個性的な監督に就きあらゆる映画やテレビ・ドラマに携わりましたが、思い入れのある現場として挙げるなら、巨匠・木下恵介監督に就いた1986年作『新・喜びも悲しみも幾歳月』は忘れられない。
木下監督は基本的に1シーン1カットの長回し演出で有名なんだけど、非常に天候を気にする人でも有名だった。少しでも気に入らない天候になってしまうと

「今日はもう中止。みんな映画でも観に行ってきていいよ」

なんて勝手に決めちゃって、制作サイドとしては撮り終えたい気持ちがあるけどそれは言えない(笑)。

他のスタッフは「中止だ中止だ(笑)」

って喜んじゃって繁華街に遊びに行っちゃうんだけど、
そしたら今度は天候がちょうど良く晴れてきちゃったもんだから

監督「おい!なにしてんだ撮影するぞ!」

っていきなり言い出すんでびっくりするよね(笑)。

それから僕は街中のパチンコ屋とか映画館とか走り回ってスタッフを呼び戻して撮影再開するんだけど、今度はそのスタッフみんなから

「中止になったんじゃないのかよ!」

って監督に言えないから僕にクレームがくるわけ。
そうなるともう板挟み状態でフォローしなくちゃいけないから大変なんだよ(苦笑)。

木下監督は直感を大事にする人だったから、僕が車を運転していると助手席に座った監督が

「あ、この場所ロケ地にしよう!」

って急に決めちゃったりする。そしたらもうなにがなんでもそこで撮影できるようにしなきゃいけない。

そんな人だから何を言い出すかわからないんだけど、そんなふうに振り回されることが勉強になったし、なにより映画作りの楽しかったところでもあるよ。

母がつないだ映画の道

想えば、この業界に入ったきっかけを振り返ると大学時代にまで遡るんだけど、あの頃僕はバレーボール部と飲食店のアルバイトに熱中してて将来のことなんてまったく考えてなかったの。

でも卒業が近づいてくると母ちゃんは心配で心配で

「あんたいったい何に興味があるんだ?」

って問い詰めてくるわけ。そこで考えてみたら映画は好きだよなぁって、
その頃ヒットしてた「未知との遭遇」や「スター・ウォーズ」に「サタデー・ナイト・フィーバー」とか、邦画では「皇帝のいない八月」や「蘇る金狼」なんか好きだったからね、

映画の仕事なんかできたらいいなぁ……

なんて漠然と言っちゃったの。

そしたら母ちゃんあれよあれよといろんな友人に相談してついには大映で働いてた関係者まで辿り着いて紹介してくれたの!

そこで撮影現場を見学するんだけど、いろんな人にやっぱり現場の苦労話を聞かされるのよ。

「映画の仕事なんて時間はルーズだし汚い現場で雑用扱いされて体力的にきつい仕事だよ」

って。

それでも興味はあったしどこか覚悟はしてたと思うんだけどね、そんな意図を汲んでくれたのか、そこから今はなき松竹大船撮影所で働いていた僕の恩人である素晴らしい制作主任の方を紹介してもらえて、その方から

「お前は次の作品で井上梅次監督(代表作に『嵐を呼ぶ男』)の鞄持ちやれ!」

って言われたのがこの業界のはじまりだったね。

井上監督の運転手やったりエキストラやったりアフレコやったり編集のお手伝いしたりともうなんでもやって作品の完成まで携わった。

そしたら気に入ってくれたのか井上監督に

「きみが一人前になるまで僕と一緒にやっていこう!」

なんて言っていただけて、それから2年くらいは付き人のようになり井上監督関係のお仕事を必死にやりました。そこで学んだことは数多くあるけど、本当に映画という作品は多くの人間が携わって作られているということを実感した。

さらにあの時代の映画公開は2本立てだったので、それぞれの”組”がすばらしいものを撮ろうと競い合うような刺激があったから、そんな空気の中で多くの素晴らしい監督やスタッフと出会えたことはとても幸福な体験だったよなぁ。

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